静岡県・日本語ボランティアセミナー2018(共催:静岡県)

2018年03月01日

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1月8日 月曜日「グランシップ」(静岡市)で開催されました。年に一度、県内外から日本語ボランティアや地域日本語教育に関心のある方が集まり、多文化共生社会における日本語教室の役割や課題について様々な角度から再考しました。当日は、県内外から約270名が参加し、終日熱気にあふれた一日となりました。

基調講演「地域を世界にひらく日本語教室21箇条」

講師:春原憲一郎氏((公財)京都日本語教育センター・京都日本語学校校長)

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講演冒頭より、物事が世界規模で拡散するようになり、同時に社会は収縮しているという世界の動向が示されました。1970年以降、多くの国で人々が健康になったことから、世界的に人口が増え、経済格差が国家間でも国内間でも生じ、さらに個人格差が広がっています。また、世界的に都市化・個人化が進む中で、安価な労働力の調達を目的とする外国人の受け入れはいずれ底をつくという解説がありました。国連が採択した「No one will be left behind(だれも置き去りにしない)」というスローガンでは、「包摂的」ということばを何度も使い、生涯に渡り教育を保障すること、誰でも真っ当に働けること等について世界で足並みをそろえ進んでいくという指針を示しているということでした。
一方、日本ではこうした世界の動きからはまだまだ遅れており、例として女性の参政権やスポーツ競技への参加の歴史が浅い事等が挙げられました。これは日本の「外人」観も通じており、すでに様々な人が地域で暮らし、関わりが避けられなくなった時代において、人々の意識も変化をしていかなければなりません。春原先生は、これからはお互いが多様性を認め合い、力を発揮していくこと、「共生」と言っても「共に生きる」からさらに一歩踏み込んで「共に生み出す」存在になるべきではないかと説かれました。
さらに、地域日本語教育は、地域の営みの中の一つであることから、地域を考えるということは暮らしを見つめるということ、地域を変えるということはすなわち暮らしを変えるということにつながるというお話がありました。日本語教育ありきではなく、地域の実情に合わせて日本語教室を設け、未来に開いていく心掛けが地域における存在意義と人々の生活や意識に変化をもたらします。そこで関わる人たちに求められるのは「開かれた専門性」であり、人と人をつないでいくこと、風通しのよい議論をすることが重要であると説かれました。時に、自分と合わない人がでてきても、話す工夫に気をつけながら相手との距離感を図り、他人に任せてみたり、折り合いをつけることが「互いに変わる」ことにつながります。地域日本語教室は「こうでなければならない」という考えの中で決めたり、選択したりするのではなく、さまざまな人と議論を繰り返しながら「これもあれも」楽しく実践していく、その過程で行き交う外国人、日本人、ときには赤の他人とのコミュニケーションこそが「ことばをひらく」ことであり、地域の変化につながっていくのではないか、と述べられました。
聴講者からは、無理をせず「楽習」になるための工夫を心掛けたい、春原先生の社会性、国際性、哲学など多分野にわたる深い見識に圧倒された、「日本語教育は外国人のためだけにあるのではない」ということばが響いた等、多くの感想が寄せられました。

分科会A「地域日本語教育の役割とは」

講師:神吉宇一氏(武蔵野大学大学院准教授)、
事例発表者:久木野和暁氏(伊豆の国市国際交流協会)、岸川順子氏(NPO掛川国際交流センター)、西崎稔氏(静岡県ベトナム人協会)

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まず、日本全体の現状として、在留外国人の増加の中でも永住を占める割合が最も多く、留学や技能実習も増加していることを確認しました。次に伊豆の国市国際交流協会 久木野和暁さん、NPO掛川国際交流センター 岸川順子さん、静岡県ベトナム人協会 西崎稔さんよりそれぞれの日本語教室の現状と課題について発表していただきました。久木野さんからは、日本語を「教える」というよりは、日本語ボランティアと外国人が「日本語を話そう」ということを理念としており、これまでの経験の中で積みあがっている地域での認知度や人とのつながりが現在の活動に活きているというお話がありました。一方で、小旅行やイベントになると大勢参加する外国人も、普段の活動になると人数が減ってしまう等という課題が聞かれました。岸川さんからは、日本語教室は外国人が日本語を学ぶためだけの場ではなく、世代を超えた地域住民が集う場となるように工夫しているという発表が聞かれました。また、中級以上の日本語活動が不十分であるということや、教室活動をどう実生活につなげていくか、課題を抱えているということでした。西崎さんからは、会の中でベトナム人同士の助け合う人間関係ができている一方、実習生の増加や子どもへの学習支援など、人数の増加だけでなく、学習者の生活課題が複雑になっていることが課題として挙げられました。神吉先生からは、多くの日本語教室で行われている体験活動やイベントは、単なる経験で終わらせるのではなく、「まとめる」作業を取り入れると学習者の「学び」につながること、日本語教育に関係のない地域住民を教室のゲストに迎えることで、より参加者同士の交流や協力体制の接点が増えること、日本語ボランティア側も技能実習生の制度を知り、企業からのニーズにうまく応えていくとよい等のコメントがありました。
後半は「理想的な地域・社会」をテーマに、グループごとに「どのような地域社会をつくりたいと考えているか」「地域づくりで大切にしたいことは何か」について、付箋を使いながら各自がキーワードを書き出して意見交換しました。日本語教室は社会の縮図であり、実現したい地域社会像が日本語教室の像にもなるのではないかという考えからこのような意見交換を行いました。また、参加者からはグループ内だけでなく全体に向けて活発に質問や意見が出されました。日本語を教える活動に日本語教育の知識は必要なのか、地域で大切にしたいことは何か、支援者に求められる姿勢とはどんなものかなど、参加者の経験談や実例を交えながら全体で意見を共有しました。
最後に、神吉先生からは、「教える」ことに関心を高めるのではなく、どうしたら相手が学ぶのかという点に関心を持つこと、人は経験したことにアドバイスが加わると学びが深まることから、日本語教室では学習者の経験を整理し、言語化する手助けをしてあげるとよいのではないか、という解説がありました。さらに、日本語教室が疑似体験の場で終わらず、教室そのものが社会参加につながるように、やわらかな人間関係から日本語を使う機会を増やす工夫を設けるとよいというお話がありました。

分科会B「外国人の子どもが置かれた現状と課題とは何か」

講師:小島祥美氏(愛知淑徳大学交流文化学部 准教授)

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始めに、憲法26条に定められる就学義務を負う対象に外国人が含まれていないのに、納税の義務を負うものには含まれる、そんな不均等な日本社会の現状に疑問を持ち、就学の実態が分からない「社会で見えない外国人の子ども」について調査をした小島先生の経験談をお聞きしました。調査では、岐阜県可児市が協力をしてくれることになり、二年にわたってすべての外国籍住民の家庭を3度訪問したところ、不就学者がいること、中退したり就労したりする子どもが多いことが分かったそうです。この実数を示した上で「不就学ゼロ」を目指し、市の教育委員会や行政、学校や地域と連携し取り組んだところ、一年後には不就学ゼロを達成したということでした。
次に、実態調査により明らかになった子どもたちの成長を支える三つのポイントである 1.「良き人との出会い」、2.「自己」の進路選択、3.居場所 について語られました。初めて会う同じ地域に暮らす大人が、子どもの生き方や将来に大きな影響を及ぼすので、子どもに寄り添い、理解し、励ましたり誉めたりしてくれる大人に出会えれば、子どもに新しい世界がどんどん開かれていくことになる、という解説がありました。また、子どもたちに求められるサポートとして ①学習するモチベーション、②自己肯定感 の重要性が示されました。学校での成績が悪かったが、その子どもに合った将来を設定し、それに向かって前向きに進めることで夢をかなえた子どもの事例紹介があり、こうした子どもの例から、一度つまずいても、もう一度やり直しができるシステム作りが重要であるというお話がありました。「夜間中学」もその一例で、子どもが就労しながら学びなおしができる場を設ける等、体制づくりの検討が急務であることを説かれました。
また、子どもを取り囲む家族へのサポートも重要です。「無関心のように見える保護者」を責めるだけでは問題解決にならないことから、正しい情報を提供し、家族も巻き込んでモチベーションをあげる必要があります。
そして、子どもへの日本語・学習支援の手立てとして、リライト教材の作成について紹介されました。リライト教材作成の原則は「表現はやさしく」「内容は相当学年レベルで」です。簡単な日本語にするばかりでなく、年齢相応の表現などについては、ある程度学べるように工夫する必要があり、グループワークを通して体験しました。子どもの現状や環境に合わせて、一人一人に合った支援をすることが重要であることを学びました。
小島先生からは、子どもが抱える問題や生活背景は様々で、個々の事情を踏まえてサポートすることは、難しいことですが、子どもの能力が開花するように、地域の人が応援団となり、長期的な支援を、一緒に頑張りましょう、という力強いメッセージが送られました。参加していた受講生は小島先生のパワーとエネルギーに勇気をもらいました。

分科会C「外国人が日本で暮らすということ -当事者の声を聴こう-」

講師:池上重弘氏(静岡文化芸術大学副学長)

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まず始めに、池上先生より国内の外国人受け入れ状況、静岡県の外国人の状況について解説がありました。日本全体では、外国人住民は約20年で100万人から200万に倍増しています。1990年の入管法の改正を契機に、南米系日系人の増加が顕著となり、近年はフィリピンやベトナムからの技能実習生や、ネパールからの入国者増加が見られます。また、永住・定住資格を持つ外国人が、在留外国人の半数以上を占めており、実質的な移民が増加していると述べられました。静岡県においては、国籍別では、ブラジル、フィリピン、中国の順に多く、特に県西部ではブラジル人の集住地区があります。また、こうした外国人の在留資格は「永住」が半数を占めていることから、静岡県でも外国人の日本滞在の長期化が著しいことを理解しました。さらに、池上先生が実施した磐田市における外国人調査の例から、ブラジル人、フィリピン人は、滞在年数が長くても十分な日本語能力が身についていない人たちの割合も多いということを知りました。
次に、ブラジル出身のメスラレシケ クレベル ショイチさん、フィリピン出身の宮村パメラさん、ブラジル出身の宮城ユカリさんからご自身の日本語学習の経験についての発表がありました。ショイチさんは、家族三人で来日し、派遣雇用の工場勤務を経て、鈴与カーゴネット株式会社に正社員のトラックドライバーとして勤務しています。初めは全く日本語が話せなかったため、業務に支障が出ることもあったそうですが、優しい同僚と上司に日本語を教えてもらい、またご自身も100円ショップで購入した子ども向けの日本語教材などを使い、地道に日本語を学んだそうです。企業もショイチさんの活躍に期待していることから、現在は、企業が参加費を負担し、日本語教室に通っているということでした。宮村パメラさんは、フィリピンで出会った日本人のご主人との結婚を機に来日しました。しかしながら、来日後、すぐにご主人が病に倒れたことから、日本語がわからない中、看病と子育てに追われたそうです。そして、義母やフィリピン人グループの仲間に助けられながら地域の日本語教室にも通い、日本語能力検定3級を取得しました。現在は子育て、パート勤務、フィリピン人自助グループ「フィリピンNAKAMA」の代表を務める忙しい日々を送っています。宮城ユカリさんは、小学校2年生の時にブラジルから家族で来日しました。来日時は全く日本語がわからず、編入した学校では一年間は取り出し授業で基礎的な日本語を学んだそうです。同じ学年にブラジル人はいませんでしたが、担任の先生と母語支援者に支えられ、クラスになじめるようになり、友達もできたというお話でした。現在は、静岡文化芸術大学に通っていますが、ポルトガル語よりも日本語を話す方が楽で、ポルトガル語を忘れてしまうこともあるということでした。また、外国にルーツをもつ子どもとして、自分は何人なのかと、ご自身のアイデンティティについて自問自答することがあるそうです。将来は、同じ外国にルーツをもつ子どもの支援や日本語教育の分野で活躍したいという目標が聞かれました。
講義後半は、グループに分かれ、三人の発表をふまえ、日本語支援について思うことや外国人が抱える言葉の問題、支援の状況等について参加者同士で意見交換をしました。参加者からは、「日本語を学ぶ学習者の生の声をきけてよかった。」「外国人が置かれている現状がよく分かった」などの声が聞かれました。